地域ブランドの検証:

伊勢神宮門前町・おはらい町

伊勢神宮は、外宮と内宮、二つの社の総称で、互いに5km離れているほど広大な敷地を持つ。外宮内宮それぞれに、門前町を持っている。伊勢は信仰の対象ではあるが、参宮の後の娯楽も来訪の目的の大きなひとつである。門前町は古来より、祭りに出る屋台の連なりにも似た“ハレ”の場としてその旅人を迎え入れたのであった。

近代となっても、人気の神社としての位置づけは変わらないが、70年代からのモータリゼーションの発達により、バスや自家用車での参拝が容易となり、鳥居直下の駐車場から参拝を済ませるとすぐに車に戻り、鳥羽や志摩など次の目的地へと移動してしまう傾向が強くなった。門前町のハレの場としての比較優位が、風光明媚で道路が良くなった志摩方面に取って代わられたのだ。外来の参拝客数が年間500万人とも言われる高いレベルをずっと維持推移しているにもかかわらず、75年には内宮門前町への入込み数がわずか20万人という凋落ぶりを見せた。

その内宮門前町が、90年頃から「おはらい町」という通り名を前面に押し出し、再生への取り組みがスタートしてから、劇的に入込み客数が増加し、今では300万人に達しようかというレベルである。その起爆剤となったのが「おかげ横丁」であり、今全国から注目を集めている“まち”づくり事例である。


シンボルとしての「おかげ横丁」

おはらい町は、内宮へ向かう参道約800。ほどの商店街を指す。この路の中程に、創業約300年の「赤福餅」で有名な老舗の菓子店がある。伊勢神宮のおかげで商いを続けてこられたという地場への感謝の思いが強い赤福社は危機感を強くし、80年前後からおはらい町再生のアイデアを練り始めたという。そして90年当時の年商が140億円であったという企業規模でありながら、投資額約140億円をかけて「おかげ横丁」を開発したのだった。おかげ横丁は、赤福単独の事業である。地域への思い入れが、いかにすごいかがわかる。

従っておかげ横丁は、企業が営業する集客施設であるわけだが、そのコンセプトと実際の戸建ての店舗や世古と呼ばれる細い路地の再現など、明らかに“まち”であることがわかる。おはらい町から横丁へ入る、その入り口に門などは一切なく、予備知識のない人であれば、おはらい町からの延長としてなんの違和感もなく、入り込んでしまうだろう。おはらい町再生の“選択と集中”事業が、おかげ横丁であるといってよい。

本筋のおはらい町も、景観として素晴らしい再生プログラムを実行している。おはらい町800mの中には、客商売の店舗だけでなく、一般の住宅や郵便局なども含まれている。にもかかわらず、ほとんどの建物が伊勢路古来の建築様式を取り入れて、修景を施している。これは「伊勢おはらい町会議」という地域・民間からの働きかけに負うところが大きく、市がこれに協力し条例にまでしたという格好だ。施策の内容は、伝統様式を取り入れた修景の際には、その改築費用を融資するというもので、決して補助ではなく自腹を切るものである。それでもこのわずか10年で街並みが劇的に修景されたことを思うと、いかにお伊勢さんの前に暮らしそこで商いをし続けることへの感謝が強いかがわかる。

おはらい町・おかげ横丁を歩くと、本物の日本の原点がそこにあるように感じられる。売られているものの中には、土産用に作られたものもあるが、その薄っぺらさも含めて日本の参宮という遊山の原風景を楽しませてくれる。お伊勢さんへの誇り、愛着、感謝こそが、おはらい町の強みであろう。


「伊勢おはらい町」ブランド・モデル

伊勢の場合、ブランド体系(用語はこちら参照)がはっきりとしている。伊勢全体の上位ブランドの下に、外宮の門前町や内宮おはらい町の中位ブランドがあり、おはらい町の下にはさらに、おかげ横丁という下位ブランドがある。今は下位ブランドの牽引によって、伊勢が注目されているという構図だ。これが戦略的に狙ったものであるところが、このブランド・モデルの素晴らしいところだ。

送り手は、おはらい町会議ということになろう。ただしここには、赤福やその子会社でおかげ横丁を運営する伊勢福がメンバーとして重要な位置を占めており、その管理能力・企画力は“町内会”の域ではない。

おはらい町の夢は、“内宮のまち宇治全体が民族博物館”になり、低迷する日本の“再生モデル”にすることだと思い描く。

強みはなんといっても、お伊勢さんと共にあることと、おかげ横丁の存在だ。参宮者は、伊勢神宮の非日常が目的であり、お参りが終わって鳥居をくぐり呼び込みの声や香ばしい薫りが食欲を誘い、日常に戻ったことを知る。静寂神聖な雰囲気のあとのにぎわいを楽しみつつ歩くと、また、いつの間にか中世の日本にいるような錯覚に陥る。この、おかげ横丁のしかけや、おはらい町との連続性が“選択と集中”によって創り出された強みだ。おはらい町には住宅もあり最寄りの商店もあって、生活臭があることが、返ってこのまちの強みにプラスになっているようだ。

シンボルは、内宮であることに疑いはない。伊勢神宮と訊いただけで神聖な拝殿とともに、おはらい町での楽しさを連想してもらえることが理想だ。

そしてターゲットは、高齢層だと考えているようだ。経験豊かで、戦前の本物の日本を知っている高齢層に認められれば、このまちも本物だということだ。これらを具現化するのに重要なのは、住民の存在だという。日常的にこのまちを買い物などで利用することで、生活臭のある活気あふれるまちになる。参宮者は、お参りでやや高揚した気持ちをクールダウンすることができる。

このモデルがしっかりと確立できれば、いかにも伊勢にふさわしいまちとなり、参宮を終えた人たちに、本当の日本の癒しを約束できるはずだと、送り手は考えている。

[ブランドネーム]伊勢おはらい町
1)送り手 赤福社/伊勢福社(対外的には、伊勢おはらい町会議)
2)夢・理念 “まち”全体を日本の良さを残す民族博物館に
3)"まち"の強み 伊勢神宮と共にあり、普段の生活空間と非日常空間(=おかげ横丁)が連続していること
4)"まち"の領域 内宮の門前をエリアとする、参宮者をお迎えする“まち”
5)シンボル 伊勢神宮内宮
6)受け手 本物の日本を知る全国の高齢・参宮者
7)共同送り手 地域住民(が醸し出す生活臭)
8)約束 日本の癒し


“観光地ではない”と送り手である伊勢福社は、自らの思い(=ブランド・アスピレーション、用語はこちら参照)をブランド・モデルに込めているが、受け手が観光地と認識していることは重々承知しているはず。その意味では、中心市街地や普通の商店街と同じにはできないが、一点突破、“選択と集中”の手法がここでも有効に働いていることがよくわかる。“まち”として再生したしくみはやはり、「来街者が“まち”を創った」のであるが、それは、おかげ横丁に流れ込む参宮者の列を見て、本筋であるおはらい町の商店主が“こうすればいいのか”と気づくことである。来街者に気づかされる体験が、送り手に必要なのである。送り手の構成員に“ばか者”がいて、私財を投げ打って一点突破を成し遂げられた“まち”は幸運であるが、多くの“ばか者の、出た頭をたたく”地域は、よそ者にその役割を期待するしかない。いずれにせよ、手法としての「おかげ横丁」は大いに参考となろう。


※「日経地域情報」(030203号)掲載記事をもとに修正加筆
※さらに手法を学ぶ→「地域ブランド戦略ハンドブック


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