近代となっても、人気の神社としての位置づけは変わらないが、70年代からのモータリゼーションの発達により、バスや自家用車での参拝が容易となり、鳥居直下の駐車場から参拝を済ませるとすぐに車に戻り、鳥羽や志摩など次の目的地へと移動してしまう傾向が強くなった。門前町のハレの場としての比較優位が、風光明媚で道路が良くなった志摩方面に取って代わられたのだ。外来の参拝客数が年間500万人とも言われる高いレベルをずっと維持推移しているにもかかわらず、75年には内宮門前町への入込み数がわずか20万人という凋落ぶりを見せた。
その内宮門前町が、90年頃から「おはらい町」という通り名を前面に押し出し、再生への取り組みがスタートしてから、劇的に入込み客数が増加し、今では300万人に達しようかというレベルである。その起爆剤となったのが「おかげ横丁」であり、今全国から注目を集めている“まち”づくり事例である。 |