地域ブランドの検証:


パワーブランド領域に入った強いブランドが獲得する能力に、拡張性と永続性があるが、地域ブランドにおいて初めてその拡張性を語ることができる事例が現れた。愛媛県の小さな山村が、唯一とも言える資源を元に公共の宿を開発し、この核施設が成功を収めたことでそのブランドが様々な施設やイベントに拡がり、遂には町の代名詞となろうとしている。この間、来街者数は数倍となった。小さなパワーブランドが拡張してきた、そのサクセスストーリーを概観する。

拡張性とは、商品ブランドなどでは実は、日常的に経験している。いわゆる高級ファッションブランドは、元はと言えば、鞄屋や馬具屋だったという例が少なくない。出自の事業領域でパワーブランドを勝ち得たところで、受け手との間に築いたロイヤルティを活かし他領域へ拡張していったわけだ。そのときのマーケティングコストは、すこぶる安い。最大のメリットだと言える。パソコンブランドとしてバイオを確立させたソニーは、IT家電にもバイオを冠しようと動いている。当初は石鹸個別のブランドであったライオンの植物物語は、今や基礎化粧品も揃える。

ただし、無尽蔵にメリットを享受できるわけではない。マネジメントを怠り、そのイメージや知覚品質にふさわしくないものにまで拡張すると、原ブランドのパワーを落としかねない。すなわちブランド・モデルが崩れ、アイデンティティが確立できない危険領域へ入ってしまう。松野町の課題も、ここにある。


滑床渓谷「森の国ホテル」の誕生

愛媛県松野町は、宇和島の東隣に位置し、南から東は高知県に接する。町内を流れる川は四万十川へ流れ込み、太平洋へ下る。四万十水系の源流部の一角であり、豊かな森を有している土地だ。

その1本の支流・目黒川源流部に「滑床渓谷」という、素晴らしい景勝地がある。花崗岩を穿った清流は、奇岩を作り出しながら、さらに岩肌をなめらかに磨き、他ではなかなか観られない渓谷美を見せている。この両岸を縫う遊歩道は全国的にも一級品で、四国内はもちろん中国や九州からも自然愛好家が四季を問わず訪れる場所となっている。その数当時、約10万人。松野町にとっては、無二の、貴重な観光資源である。

町の産業は従来林業であったが、例外ではなく衰退の一途である。農業とともに、滑床を核にした観光振興の他に生きる道なしと50年代後半から行政の主導としては先進的に、取り組んできた。57年には町営ユースホステルを開業、73年には青少年旅行村を開村。この間、県の自然公園から国定公園そして国立公園と、順調にその位置づけを高め渓谷遊歩道の整備なども順次行ってきた。


そしてバルブも絶頂期、90年前後となると、ユースホステルは時代に合わなくなり老朽化もあって、新たな振興策が計画された。それが当時、町営としては革新的な"ホテル"開発へと結実する。「森の国」は最初は、ホテル名称に過ぎなかった。


ホテル名称から「森の国」ブランドへ

町村が宿泊施設を開発となると、保養所か国民宿舎が相場だ。しかし国民宿舎は、四国内だけで10施設以上あり埋没しかねない。役場の開発担当者は、独自性にこだわった。他にないものを作らなければ、松野町に将来はないという危機感から繊細にして大胆な計画を練り上げた。公営、民営いくつもの"本物"の施設を市場調査してまわり、一級の渓谷にふさわしい施設のイメージを固めていった。それが、身の丈にあった"プチホテル"であり、他にはない特徴を持ち(結果としては、仏料理フルコースとなった)、外観イメージは上高地帝国ホテルであった。

もちろん具体化は簡単ではなく、多くの反対や障害があった。幸い当時の町長の協力も得られ、なんとか議会からも賛同を取り付けた。そんな状況下の開発秘話としては、ひとつにネーミングがある。ホテル名称は、形としては公募により決められた。議会などの"当然"の要請だった。しかし担当者には最初から腹案があり、シンプルで立地イメージにピッタリの「森の国ホテル」に内心決めていた。そこで用意周到にアピール作戦を実行し、みごと最終案として通してしまった。

こうしたこだわりのある、役場の仕事らしからぬことができる“ばか者”がいたのは大きいが、そうしたところにこそ、なくてはならない存在として、優秀な設計コンサルタントやデザイナーが集まってくるものである。建物はみごとに帝国ホテルふうに再現され、周囲の修景も含め、この林道の終着点を高質な空間に演出している。そうした空間を予感させてくれるのが、鳥をモチーフにした森の国のシンボルマークだ。アクセス道路沿いに設けられた誘導サインは、計算されたデザインでドライバーを誘う。パンフレットなどの印刷物はもとより、駐車場のちょっとした案内板から、ホテル内のサイン類まで一貫したデザインシステムが貫かれ、知覚品質を高めている。人口わずか5千人の町がやった仕事としては、上出来である。

こうして森の国ホテルは、91年に開業した。そのブランド・モデルを俯瞰してみれば、完成度の高さがわかる。そして大自然の中で、意外とも言えるフルサービスのレストランでの食事を含め、1万数千円で泊まれるリーズナブルさがあれば、競争優位性は言わずもがなである。


開業初年度から予約が殺到し、メディアが次々とパブリシティをとり上げ、四国から中国にかけては一気に知名度が高まった。「森の国」ブランドが確立されていったのである。


「森の国」のブランド・モデル(用語はこちら参照)

[ブランドネーム]森の国
1)送り手 松野町
2)夢・理念 交流人口増加による過疎地域活性化
3)"まち"の強み 四国初の公営ホテル(安さ)と、山の中で味わう本格仏料理、本格的なリゾート空間
4)"まち"の領域 滑床渓谷を中心とする国立公園内の 観光エリア
5)シンボル 森の国ホテル
6)受け手 中高年女性を中心とする、グルメにも観光にも関心の高い層
7)共同送り手 施設運営受託している財)松野町観光公社(公務員出向ではなく、民間から職員採用)
8)約束 何もないこと(時間も、携帯電話も)


この3年後から、ブランド拡張は始まる。宿泊施設以外にも、次々と「森の国」冠施設やイベントが整備されていった。町の至る所で、楽しげな鳥のシンボルマークが踊るようになった。今では町のホームページまで、このマークが使われ「森の国 松野町」と表示されるようになった。松野町は知らなくても、森の国なら知っているという県外者も多いという。森の国ブランド体系が確立されつつあるという、地域ブランドとしては最も参考になる事例だと断言できる。

ただし当ブランドが、専門的知見をもってマネジメントされてきたわけでは決してない。宿泊施設を独自性にこだわって開発してきたら、上手くデザイナーら協力者の助力を得られて知覚品質を高められ、成熟化の途中であった四国という地の利、91年開業という時の利が幸いしてブランドが確立された、と見るべきだろう。

この点は、「夕張メロン」や「関サバ」などと同様に、強みの競争優位性が際立っていたために、受け手がブランドにしてくれた面が大きい。個別ブランドレベルでは、どれかの要素の独自性が抜きん出ていれば、ある一定期間パワーブランドを維持できることは、知られている。しかし今回のようにブランド拡張を伴い、裾野の広がったブランド体系全体をマネジメントしていくには専門性が不可欠だ。

発表原稿ではこの後、「森の国・松野町」全体の評価を行っているが、厳しい内容となっている。

ガラス工房、日帰り温泉、特産品販売所などに「森の国」は冠され、ブランド拡張は進められてきたが、ひとつ1つの知覚品質は、ホテルよりもかなり落ちる。そしてホテルのサービスにしても、客側の成熟化が進み、本格的な空間で仏料理を食べ慣れてきているために、相対的にサービス品質が落ちてきていると思われる。料理のサーブの仕方ひとつ、エレガントさが感じられない。安かろう、そこそこだろう、では客のリピートは期待できない。

小さな村や町でもできるのだという、非常に参考になる事例であるとともに、ブランド・マネジメント、特にこの場合のマネジメントは「維持・管理・リフレッシュ」がいかに重要かの、現在進行形の事例になるのではないかと思う。

ブランドが注目されている、その理由を学び、地域ブランドの知見を高めねばならない。


※「日経グローカル」(040802号)掲載記事をもとに修正加筆


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