地域ブランドの検証:

各県都にははっきりとした中心商店街があって、そこへ出かけることこそが“よそ行き”であり“ハレの日”である時代があった。それは、客側(受け手)の喜び=価値であり、商店筋(送り手)の誇りと使命であった。静岡に限らず『お町へ行く』という類の鼻高い表現は、各都市近郊で使われてきたはずだ。こうした送り手と受け手の関係が、地域ブランドの原点であると思う。今回はその原点を未だ忘れず、苦闘し続ける商店主達の心意気に触れることができた。

静岡県静岡市、静岡駅の駅ビルの上から眺めると、歩ける範囲の中に県庁・市役所をはじめとする官公庁、郵便局、金融、デパート、ホテル、飲食、映画館などがすべて揃う、コンパクトな中心市街地であることが分かる。のぞみこそ停車しないものの、1時間に1本以上の東海道新幹線ひかりが東京横浜や名古屋とむすび、東名高速の静岡ICは中心市街地からでも3kmほどの近さだ。合併なった旧清水市街間には静岡鉄道が走り、さぞ暮らしやすい町であることが伝わる。

その街の各機能を有機的に結びつけているのが繁華街だ。中には"おでん屋街"などの夜の盛り場があり、娯楽が揃う"シネマ通り"などがあり。

そしてその中心を堂々と貫いているのが「呉服町通り」である。

呉服町通りは、"商店街"で言えば3つに区切られており、駅に近い紺屋町に属する部分が「紺屋町名店街」、続く一角が「呉六名店街」、そこから先が「呉服町名店街」となる。ただし歩いていても、街が替わったとはほとんど気づかない。呉服町通りと交差し、"七ぶらシネマ通り"へと続く七間町通り沿いの商店が「七間町名店街」を構成し、この4名店街で静岡名店街と総称するが、その中心は何といってもデパート「伊勢丹」を擁する「呉服町名店街」であるのは自他ともに認めるところであろう。

その歴史をたどれば、静岡市がかつて駿府と呼ばれた、徳川家康の時代にまで遡ることができるという。ようやく訪れた平和の時代の、天下人の隠居生活を支えた街の、商業中心として歴史を積み重ねてきたのが呉服町であるとのことだ。

現代の街の領域は、歴史伝統の上に立脚した高級買い回り品を取り揃える地域一番の商店街であり、市域のみならず富士川から大井川までを商圏とする街である。ファッションやカバン、時計宝飾品やインテリア、そして高級食材など、郊外では手に入らない商品を扱う専門店が多い。

したがってこの商店街の競合は、最寄り品のイメージが強い郊外型ショッピングモールなどよりも、同じ駅前に立地するデパート群となる。

地域一番は「松坂屋」のようだ。ルイヴィトン、フェラガモ、ティファニーなどそうそうたる海外ブランドを揃えている。隣接するのが「西武」と「丸井」、前者はエルメス、フェンディ、ハンティングワールドなどで対抗し、ともに若い層を狙っているはずだ。加えて駅ビルの「パルシェ」から静岡鉄道の新静岡駅までの動線上には、多くの商業ビルや専門店が軒を連ねている。

これらの駅前エリアが当面の競合ではあるが、東京まで至便の交通が発達した現在、富裕層は銀座まで"お町に出かける"ことも珍しくない。買い回り品を領域と標榜する以上、これも視野に入れておかなければならないのが、呉服町のマネジメント環境の現状である。

しかし、今の呉服町を見る限り、十分に競争優位性を保っている。現地調査に訪れたのは平日であったが、午前中から昼下がり、人の流れは途切れることなく、そしてどんどん店の中に消えていく。専門店の中に入ってみたときの方が、デパートよりもかえって客に買い気があった。

ともすると一国一城の主の烏合の衆になりかねない、商店街振興組合。全国の中心市街地の活性化がうまくいかないのは何も、モータリゼーションと郊外立地の新興勢力のせいばかりではない。静岡とて、同じ状況にある。にもかかわらず、どうして呉服町は優位性を維持することが可能なのだろうか。ブランド・マネジメントの観点から、その強さを探ってみた。


高いブランド・モデルの完成度


商店街が商品券を発行するのは、今や珍しくないようであるが、デパートでも使える例は稀であろう。伊勢丹は呉服町名店街に加盟し、この例に限らず共同販促物を制作したり、イベントに参加したりと、積極的に街と共同歩調をとっている。

呉服町から言わせると、駅前エリアとの競合関係もあり、伊勢丹は送り手協力者であり、補完し合う"運命共同体"であるわけだ。

大型店とつばぜり合いするのではなく、一緒になって街を作り上げていこうという発想は、どこから来るのだろうか。それはブランド・モデルを解明していけば、すぐに分かることである。

まず注目したいのは、地域ブランドの理念だ。『街に行ってみたい人、ショッピングを楽しみたい人に、喜んでいただく』ために街の存在意義はあると、明解に組合員で共有されているのだ。お客さまの利便性を考えると、たとえ客が流れたとしても、街の一部である大型店で商品券が使えた方がよい、と発想できるのだ。ありがちな「販売力を上げるため」の類の目的を掲げるのとは、大きな開きがある。

こうした理念を持てるからこそ、受け手に『お町へ行く』というハレの場を約束できる。

ただ高邁な理念だけでは、商売は成立しない。ブランド確立の要諦は独自性であるが、デパートと比較して何がどう違うのか。『人が強み』であると明解に答えられた。大型店では末端の、しかも直接の接点では派遣かパートというケースが多い。しかし専門店では、主人が常に目を光らせ、時には直接接客をし、専門店ならではのプロのサービスを提供できるところが決定的に違う。それくらい、各店は勉強し人を育てていると自負している。呉服町名店街は、その集合体だ。

こうした強みをもって棲み分けながらも。伊勢丹を街のシンボルとして活用している点も心憎いばかりだ。いわば核テナントして「伊勢丹のある呉服町」は、はっきりとしたイメージを伝えることに有効だ。さらには数年前に導入したCIで、やや表層的ではあるが「五感の幸福(=五福→呉服)」の一連の基本デザイン要素を制定し、街の知覚品質を上げるのに成功している。

こうした稀にみる地域ブランド・モデルの完成度は、商店街としてのポテンシャルを保つ礎石となっているのである。そして、それをさらに引き上げるためのマーケティングも忘れていない。
各種の販促ツールの発行やイベントの開催などもさることながら、全国的にも有名となった「一店逸品運動」はこの街に鮮度を与えている。

一店逸品とは、各店舗がオリジナルの自慢の商品を作ろうというものだ。お茶屋が左利き用の急須を、傘屋が杖にもなる傘を、パン屋が桜エビ入りのパンを…などというように工夫を凝らした買い回りの逸品を提供している。これを毎年新作を発表することで、街に変化を与え鮮度を保っている。さすがに全店が毎年新逸品をというわけにはいかないが、ほとんどの店が何らかの逸品を出しているところに、呉服町の実力のほどが見て取れる。


「静岡市中心市街地」のブランド・モデル
(用語はこちら参照)

[ブランドネーム]
呉服町名店街
1)送り手 商店街振興組合
2)夢・理念 街に行ってみたい人、ショッピングを楽しみたい人に、喜んでいただく
3)"まち"の強み 人(各店は勉強し人を育てている)
4)"まち"の領域 中心市街地の一角を占める 高級買い回り品商店街
5)シンボル 伊勢丹デパート
6)受け手 富士川から大井川までを商圏とする 町へ出ることや買い物を楽しみにする気分の生活者
7)共同送り手 伊勢丹
8)約束 『お町へ行く』というハレやかさ


ここでも、代々続くいわば旦那衆の古参組から『新陳代謝による新組合員からの新たな知見は、勉強になるいい機会だ』という声が聞かれた。ブランド・マネジメントの専門的知見はそれほどないのだが、わかる人にはわかるのである。逆にいえば、何もブランドブランドと横文字を並べなくても、いま地域が置かれた環境と時代背景、そしてそこで商売をやり抜く気概があれば、“まち”はイメージであり外が創ってくれるものだということがわかるのだ。

パワーブランドと評して問題ないであろうが、今後の課題としては、いかにテナントリーシング能力を付けるかにかかっていると、薫習房では考える。商店街が客を惹き付ける根本は、他にはない商品を扱う店、もしくは他で手に入る物でも“いい商品”に見せる力のある店を、いかに多く、もれなく揃えるかだと言える。アーケードに金をかけても、公共機関をそこへ持ってきても、中心市街地の活性化にはならない。いくら規制をしても、商業デベロッパーが蓄えた知見と資本と情報は、超えがたいものがある。それに伍して戦っていくためには、不動産業も視野に入れた、店揃え業を送り手が営むしかないと思うがいかがだろうか。国や地方自治体が中心市街地を活性化させたいのなら、送り手にその力を持たせる、下支えをするような法体系を整えることが肝要ではないかと思う。


※「日経グローカル」(041004号)掲載記事をもとに修正加筆

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